日本共産党福島県ボランティア情報

日本共産党が福島県内で行っているボランティア活動のお知らせや募集などを紹介していきます。

涙と希望の「青年交流会」

「全国青年ボランティアセンター@福島」怒涛の3連日2日目(5月4日)。マイクロバスと乗用車を連ねて、センターから仮設住宅に向かうシーンもありました。(下写真)

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約130人の青年が参加して、福島市松川(飯舘村)仮設、平野(双葉町)仮設、南矢野目(浪江町)仮設に支援に入りました。早めに終わった組では、飯舘村南相馬市の現地を視察した組もありました。

原発はもうたくさん、再稼動なんてとんでもない」という方や「何度も避難先が変わって子どもが学校に行きたがらなくなった」という方、なかには「家族が東電関係の仕事をしていて・・・」という複雑な思いを吐露してくれる方もいて、青年たちも大いに考えさせられたようでした。

夜は福島市内宿泊組みで全体交流会を開きました。(下写真)

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「(4月に警戒区域を解除されたばかりの)小高にいってきたけれど、そこで地元の人が1年前のままでほとんど手の付けられていない被災したままの状況なのにもかかわらず、『やっぱりここに来ると落ち着く』と話していたのが印象的で」と声をつまらせて報告してくれた徳島県の青年や、「聞き取りをするというのが民青らしくて良かった。横浜にいると原発事故はすでに収束した問題と錯覚して思えるけど、現地に来て避難している方の声を聞くことができてよかった」という神奈川県の青年も。

太陽光発電だけでは日本の電力はとてもまかないきれないのでは」という意見や、「自分は原発には反対だけれども、単に原発に賛成か反対かだけではなく、これからどうしていくんだという提起が大事」という意見、そして「フクシマは他人事ではない。聞き取りをして原発は人間の尊厳や営みと相容れないと感じた」という意見も出ました。

「福島に住んでいる人たちが、放射能の不安を抱えながら福島に居続けるのか、仕事や住居やこれまで積み重ねてきたものを捨ててでも避難をするのか、決断を迫られたということを聞いて心を痛めた」という感想を話す青年もいました。

それに応えるように地元・福島県から参加している青年も、「事故後、いっしょに福島にいる先輩から『もう俺たちは被ばくしているんだ』と言われてとてもショックだったけど、同時にそうなってしまった以上どうにかしなければいけないという前向きな気持ちになった。みんなが福島に来てくれたことが励みになるし、みんなはすごく考えているんだと思った。何年後になるか分からないけど、あの時がんばって活動してよかったと言い合えるようにいっしょにがんばりたい」と、福島にいる複雑な思いと決意を話してくれました。

そういった中で、他県から参加した青年たちが口々に、「福島で見聞きした現状を忘れずに、地元で周囲の人に伝えていくのが自分たちの仕事だと思った」と決意を語ってくれたことは、「フクシマ」にとっての希望そのものだったと思います。

(県対策本部 町田)